~maimaiのなみなみブログ~

双極性障害Ⅱ型をもち、不登校・引きこもりを経て、社会人として立ち直り途上にあるアラサー女の日記です。

職業訓練27日目:自己分析で人生の終わりを実感する

こんにちは。maimaiです。

 

今日の職業訓練も無事に終わりました。最近は時間が経つのが早く感じます。

AutoCADの基本コマンドの訓練をしていますが、以前習ったときにはそこまで詳しくコマンドの講義を受けていなかったので、まぁまぁ手間取っています。JW-CADをやった後なので、操作の仕方がごちゃ混ぜになって、やりにくいのも大きいです。なかなか自分の思うように動いてくれなくてモヤモヤしています。まぁ、やっているうちに慣れて、そのうちJWのことをすっかり忘れるんだろうとは思いますが(^^;

 

昨日は、就職対策の講義として、自己分析をやりました。

その中で、自分の役割について考える為に、縦軸に0歳から80歳までの数字が書いてあって、横軸に人生における様々な役割(親であるとか、仕事人であるとか、配偶者であるとか)がかいてある目盛りに沿って、グラフを作成するということをやりました。

自分の今の年齢のところからグラフを作成すれば良いということで、今後の予想を含めながらグラフを作成していたのですが、80で切れている目盛りを見た時に、「(80ではないにしても)いつかは必ず人生の終わりが訪れるんだ」ということをまざまざと実感しました。

両親の娘としての役割は、あと2~30年くらい、配偶者としての役割はあと30年ちょっと(できるだけ長く続いてほしい…)、仕事人としての役割はあと3~40年(自分はいつまで働きたいのか?)、親としての役割はまだ始まっていない(いつから始められる?そもそも始められるのか?)などなど…。そしていつ来るかも分からない、でも確実に来る人生の終わり…。

生きているものには、必ず死が訪れるのは避けられないことです。100%確実です。

 

若いころのウツのどん底にいた時は、いつ死んでもいいし、私は生きている価値はないし、どうにかして死にたい、とさえ思っていました。

ですが、大切な家族ができた今、自分が死ぬこと自体は怖くないけど、ただただ、大切な人との別れが怖い…。考えただけで、寂しくて辛くて泣きそうになります。

この幸せな時間が永遠に続いてくれればいいのにと願ってはいるけれど、確実にいつか別れの時が来ると思うと、胸が締め付けられます。

昔と比べて、今みたいに考えられるようになれたことはありがたいです。心から大切だと思える人がいる私は幸せ者です。

 

ただ、大切な人を失ってしまったら、本当に、生きている意味がなくなるように思います。自分が死ぬ時にも、徐々に死を覚悟できる状況にいればいいですけど、突然だと、悲しみにまみれながら死んでいきそうな予感がしています。そんな死に方はいやですけどね。

主人とは歳の差があるので、順番的にいえば主人の方が先に亡くなる計算になります。考えたくはないけれど、いつかその日が来た時のために、心の準備はしておいた方がいいのかなと思います。しかし、その後の人生がまったく想像つかないな…。

 

ただグラフを書くだけの自己分析でしたが、人生について深く考えさせられました。

 

今こうやって生きていられるのも、大切な人と過ごせる時間も、限りのある本当にかけがえのないものなのだと実感しました。

どうでもいいことで腹を立てて、口をきかないとかあったりしますけど、残りの人生でどれだけこの人と一緒に過ごせるのかと考えたら、そんなことに時間を割いている時間はない。1秒でも長く、楽しく幸せな時間を一緒に過ごすことを、最重要にしたい。悔いのない日々を送りたい。

そう心に刻む時間になりました。

 

日々に流されて、なんとなくぼんやりと生活していることも多いですが、この日のことを思い出しながら、日々、心新たに生きていきたいです。

 

 

少しずつ進んでいきましょう。