~maimaiのなみなみブログ~

双極性障害Ⅱ型をもち、不登校・引きこもりを経て、社会人として立ち直り途上にあるアラサー女の日記です。

ありのままを受け入れるということ

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こんにちは。maimaiです。

 

今週も無事に訓練を終えることができました。

週の初めは1週間が長いように感じますが、終わってみるとあっという間ですね。

先日、少し気分が落ちかけましたが、何とか持ち直して、まあ普通の状態を保てています。日記の記録を見てみると、今月はかなり良い状態を保てているようです。来月まではまだ日にちがありますが、今月中はたぶん今の調子で続けられると思います。たぶん。

 

数年前から『Daylio』というアプリで気分日記をつけています。5段階でその時の気分や、していることを記録出来て(自分で種類を増やすこともできる)、日記も書くことができるアプリで、操作性がシンプルなので続けやすくて気に入っています。(不精なので(^^;

記録は統計を取ることができて、カレンダー形式での表示や、何の行動を取っているときにどういう気分になりやすいかなどの傾向を知ることができて便利です。

 

過去の統計を見返してみると、毎月必ず、希死念慮が出るほどの落ち込みが最低1回はありました。また、そういった気分まではいかなくても、ウツっぽい、もしくは無気力な気分の時期が断続的に、あるいは週単位で続くことも多くありました。

それと比較してみても、今月は「普通」や「気分の良い」日が続いていて、安定しているのがはっきり分かります(『カレンダー』で見ると、1か月の気分が色分けされて見られるので、一目瞭然のアプリです)。私にとっては画期的な状態です。

その前に、月ごとに気分がコロコロ変わっているみたいですから、いわゆる『ラピッドサイクラー』というやつですね。あんまり自覚なかったですが(^^;

もっと症状が酷かった時期は、ウツ期が数か月単位で続き、ずっと寝たきりだった時期も長くありました。あの時は辛かったですね。息をしていることさえ苦しかった。

何度も死のうと思い、実際実行しようとしたこともありましたが、運よく失敗したり躊躇したりしたおかげで、今があります^^

今も、何もかも恵まれているというわけではないけれど、気持ち的には幸せですねー。

この生を生きられる時間って限られているのですから、生きている間はなるだけ幸せや喜びを感じていたいですよね。そうでなければ、何のために人間として生まれてきたのだろうかと思います。

ある本に、人が自分をみじめだと思ったり、それを辛く感じたりするということは、人間が本来そんなにみじめなものではあってはならないからだ、ということが書かれていました。辛さや苦しみは、人間が人間として正常な状態にいないということを私たちに教えてくれているんですね。

 

話が逸れました。

調子が良い要因は何だろうと考えてみていますが、根本的には考え方を変えたのが大きいかなと。特に、自分に対する考え方です。

前にもブログで書いていたかと思いますが、以前の私はとにかく自己否定感情が強く、自己肯定感が低かったです。

なにかしらポジティブ思考を身に付けようと頑張ってみても、心の中では「自分なんて…」と思っていたり、鏡を見るたびに「不細工やな…」と思っていたり(^^;

小手先だけで自分を変えようとしても、長年染み付いた考え方のクセを変えるのに四苦八苦していました。

 

そんな中、自己啓発系の色んな本を読んだり、動画を見たり、映画を見たり、人と関わったりする中で、結局のところ、自分を否定して自己卑下していても、未来は良く変えられないことに気づきました。当たり前のことだろうと思われますが、それが事実なんですよね。今のまま自信なさそうに生きていても、成功もしないし、本当の意味で自分らしく幸せに生きられないと気づいたんですね。結局は自分(の考え方)を変えていくしかないんです。

それからは、自分が発する言葉はもちろんのこと、頭の中で考える思考にも注意を払うようになりました。とにかく自己否定的な言葉は使わないようにしたんです。

でも、やっぱり落ち込んだりイライラしたりすることはありますから、そういう時は、その気持ちを増幅させるのではなく、客観的にありのままにその感情を受け入れることにしました。まだまだ完璧に受け入れることはできていませんが、以前と比べると格段に良くなってきているように思います。

 

私は、自分らしくありのままに生きている人に憧れがあります。そういう人を見ると、キラキラ輝いているように見えるし、こちらまで新鮮な気持ちになれます。

今通っている職業訓練の講義のなかで、就活対策として他の受講生と共に自己分析を行ったのですが、人にはそれぞれ傾向があって、面白いほどに人と人は違っているんだなと感じました。まるでパズルのピースのように、お互いに無いものを補い合って、この世界はバランスよく成り立っているんじゃないかなと。初めからそうなるように、何かから与えられているんじゃないかと。

そうであるならば、無いものを嘆くのではなく、与えられているものを大切に育てていくことこそが重要なんだと思います。

 

生まれ持った容姿も、性格も気質も、病気や障がいも、すべてが世界にたった一人の自分を形作るものなのだと思ったら、なんだか愛おしくなります。時にはうんざりしたりもしますが(^^;

それから、自分への見方が変わると、世界の見え方が変わります。以前は街を歩くのに、下を向いていることが多かったり、人の目が気になって周りの風景が見えていなかったりしていたんですが、最近風景がよく見えるようになりました。建物が美しく見えるし、色も鮮やかに見えるし、街の賑わいなんかをありのままに感じられるようになってきました。普通それが当たり前なのかもしれませんが(^^;

以前はそう見えなかったんですよね。特に高い建物なんかがある街中だと、威圧感を覚えて、息苦しいような気分になっていました。昔引きこもりだった時期も長いのですが、最近は街歩きを楽しめるようになってきているのですから、驚異的な成長を遂げていると思います。人間変われるもんですね。

 

ここまで来るのに結構長くかかりましたが、辛抱強くやっていけばいつか必ず変われると思います。ただ、今の状態が軽躁でないことを願うばかりです(^^;

 

少しでもいい状態が続くように、注意深く過ごしていきたいと思います。

 

少しずつ進んでいきましょう。